木の実と角とわたしの旅⑥

 

旅行は妄想するだけしといて案外当日の記憶は残っていないものだ。修学旅行もめちゃめちゃ楽しかったのは覚えているが、細かいスケジュールは案外覚えていない、思い出せないという人も少なくないはず。

逆に修学旅行といえばこれという決定的な事件は明確に覚えているはずだ。ずっと好きだった女の子と付き合ったあいつ、移動中ゲロ吐いたあいつ、 普段はそんなに目立たないのに修学旅行のせいかハイになってちょっと面白かったあいつ。そういうなにか大きな出来事があるからこそ、それ以外の事は覚えていないのかもしれないし、あんなに楽しかったこと忘れないと思っていても人間の記憶なんてその程度なのかもしれない。「逆になんでそれ覚えとるん?」という記憶もある。

私の高校の修学旅行の目的地のひとつにディズニーシーがあった。インディ・ジョーンズのアトラクションの待ち時間大学生の男女グループに絡まれた。こてこての関西弁でどこから来たのか、年齢、女の子はおらんの?などなどお話ししていた。お姉さんのピチピチのニットがエッチだった。いくつかやり取りしたあと「部活とかなにやってんの?」と聞かれた。すると一緒にディズニーシーをまわっていたサッカー部ミウラが「野球部です!」と答えた。意図が全くわからなかったのでとりあえず「いやサッカー部やん」と私がいうと「あ、そっか」とちょっと笑いながらミウラが答えた。ピチピチニットのお姉さんが「なんか滑ったな」と鋭い言葉を放って会話はそれ以降なかった。関西人からみてそのやり取りは不合格だったのだろう。なにより未だにミウラがなにを狙って野球部という嘘をついたのか、ボケなのか、天然なのかはわかっていない。本人に聞いても「そんなことあったっけ?」と答える。とぼけているのかわからないが、とにかく私の高校時代の修学旅行の記憶といえばこれだ。

 

 

そしてうい君と角助との旅行だが、三人集まった後、京都バス乗り放題のチケットを買った。角助が私が財布を取り出すのをじっと見ていたのを覚えている。学生証が見えないかと期待していたらしい。丸見えだった。結果そこで私は二人に大学がばれてしまった。(皆さんはオフ会をする際、その辺の管理はしっかりしておきましょう。)

ただ、それからすぐどこに行ったのかすら覚えていない。清水寺だったか、ただ清水寺に角助がいた記憶がないのだ。2日目あるいは3日目にうい君と二人で行った気がしないでもない。それか単純に角助の存在感が薄かったのか、予告しておくが、旅行中は角助の出番は少ない。

 

初日、龍安寺に行ったのは覚えている。時間的には夕方だったのでどこかへ行って龍安寺にいったはずだが...

 

バスで龍安寺の近くまで行った。うい君に「普段なにしてんのにはたくん」そんな会話をしていた。当たり障りないなと思われるかもしれないが、出会ってから1時間ほど、そんなものだろう。「バイトばっかやね。夏休みなんか時給800円なのに給料16万になったわw」二人にドン引きされたのを覚えている。うい君「そんな稼いで何に使うん笑」...そんな普通の会話だが、普通の会話をするためにパーソナルな情報が少しでもあるとどれ程楽かを実感した。今回の場合「私のバイト」という共通の話題が前もってあったため良かったが、あのバイトの話がなかったら、どんな話をしていただろう。

 

龍安寺の近くには「あの」立命館大学があることを知った。角助がやたらはしゃいでいた。いつもに増して早口だった。バシャバシャ写真も撮っていた。彼はその写真を使ってなにか企んでいた様子であったが、その写真を使った大きな動きは今日まではない。2年なにもない。

 

龍安寺についた。さすが人気スポット。とんでもない人だ。あちこちでいろんな言語が飛び交っている。入場料を払って中にはいる。土足で中にははいれないので靴を脱いではいる。靴はみんな共有の靴箱にいれる。鍵もないし一人一人分けられているわけでもない。でっかい本棚みたいな奴。寺の中はするするとまわるつもりだった。当時の私は罰当たりで龍安寺の寺の中などどうでもいいと思っていた。庭だけのお寺だと思っていた。私の悪いところだ。結局お寺の中の小さな仏像や襖絵、でっかい習字。圧倒的に私の語彙力が追い付いていないが、とにかく興味深いものばかりだった。「○○ができた背景、歴史」だとか「作品の説明」などが書かれている立て看板は結局全て読んでしまった。うい君角助も同じようにくまなく龍安寺を堪能していた。

 

そんなこんなで夢中になっていると日本史の教科書で見たことあるあの風景が広がっていた。枯山水だ。群がる人の多さは圧倒的だった。私に芸術的センスはないので正直よくわからないが、きれいということはわかった。小学生並みの感想だ。うい君と角助はバシャバシャ写真を撮る。私は普段からあまり写真を撮らない。撮っても見返さない性格なので無駄だと思って撮らない。旅行から帰って来て友人にどこ行ったん?と聞かれた際、写真があればと思うことはしょっちゅうだ。まぁまぁ後悔する。撮ればいいのにと自分でも思う。撮ろうかなとその時もよぎったが、必死なカメラマンの二人を見てやめることにした。

ほどほどに龍安寺を出ることにした。私やうい君角助はもちろん、みんな当たり前に本棚みたいな靴箱から自分の靴を取って、履いて外へ出る。靴が盗られたなんて誰も騒いでない。なんて良い国だ。そして書きながら思う。お気づきの方もいるかもしれないが、会話はほとんどない。そんなものなくても京都の観光は捗りまくる。自国の日本人ですらここまで夢中になるのだ。外国人なんてどうなるだろう。日本に来た外国人観光客がうるさいだのマナーがどうだの問題視されているが、高ぶる気持ちもわからなくはない。

 

龍安寺の後京都のポケモンセンターに行くことにした。一旦京都駅行きのバスに乗りそこからポケモンセンターがある京都高島屋に向かうという流れだ。(現在ポケモンセンターは移転したらしい)夕暮れ時ホテルに引き返す観光客でバスは大混雑だった。なにより鬱陶しいのが観光向けのバスなのでみんな荷物が多い、乗れる面積も普段より限られてくる。

 

満員のバス。皆さんもバスはないにしても電車なら経験があるはずだ。通勤の時間帯で考えてもらって良い。加えてその状況で目の前が優先席、しかも空いている優先席という状況を経験したことがある人も少なくないはずだ。優先席に躊躇なく座れるという人も少なからずいるが、基本的には優先席は空けておくというのが暗黙のルールになっている。ただギッチギチのシチュエーションだけは別だ。座った方が迷惑がかからない。なんなら楽になるひとの方が多い。そういう場合に限っては背徳感を感じつつも優先席に私も座る。

 

私はその考えに基づきうい君と優先席に座った。角助は立っていた。これは年上の権力を振りかざしたのではなく、角助が俺は良いというような感じで頑なに座らなかった。バスの最前列の椅子だ。こんなに丁寧に振ったのだ。なにが起こるかお察しの通りだ。座ってから3分ほどしてから40代後半位のおばさんから声をかけられた「あなたたちが座るような椅子じゃないでしょ?」おばさんは決して間違えてはいない。しかし状況的にみんな身動きが取れないのだ「どうしよう」なんて考えていたが、うい君の対応ははやかった「すみません。」大人だった。すぐ席から動いた。私もつられて動く。「そのおばさんが座るのかな」きっと私、うい君、角助、そしてその周りの人全員がそう思っていたに違いない。おばさんは乗り口の扉付近に向かって「せきあいたよーーーぉ!!」とまぁまぁの声で言うのだ。先述の通り最前列の席での出来事。人を無理矢理掻き分けて別のおばさんが出てきた。そして二人で仲良く座る。そのおばさん二人以外全員迷惑そうな顔をしていた。そのあとおばさんに「優先席なんだから、気を付けてね」と念を押された。さすがにピキっと来たが、「きっと車内全員が味方だ。」と言い聞かせてその感情を収めた。

 

しばらくして京都駅についた。そこから乗り換えて京都高島屋まで15分ほどかかった。そのバスではなんとか座れた。何だかんだ昼に出会ってからそこまで立ちっぱなしだった。バスの心地よい揺れでもう寝てしまいそうだった。街の風景なんかも旅行のひとつの楽しみではあるが、眠たかったことしか覚えていない。ポケセンは三人とも行きたい場所のひとつだったが、角助が1番行きたがっていた。そのためか移動中明らかにワクワクした角助の顔だけはよりにもよって焼き付いている。

1番行きたかった場所に行くことにワクワクすることは全く悪くないし、むしろ当たり前のことだ。可愛げだってある。ただこの旅行で「逆になんでそれ覚えとるん?」の記憶といえばこれだ。

 

記憶の欠片へ続く