不良とわたし②-1

 

 

小学校に入学した。名札の色は青だった。色の理由は単純で1組だったからだ。2組は黄色、3組は赤だった。他の小学校の名札事情は知らないが、私の小学校は一年生だけクラスごとに色分けされていた。2年生以降は一律同じ名札が配られた。

 

入学してしばらくすると別の意味でクラスの「色」が出てくる。おとなしいクラスもあれば元気なクラスもあるし、真面目なクラスもあればやんちゃなクラスもある。その辺りは担任の先生が全て握っていると言っても過言ではないと思う。6歳から7歳の子供だ。影響受けまくりに決まっている。私の1年1組は真面目なクラスだった。ただ元気がない訳では決してなく、何事も一生懸命に取り組むそんなクラスだった。すごく良い先生だったと今振り替えって思う。3組は比較的大人しめのクラスだったと思う。のんびり屋さんが多いそんな印象だ。問題は2組だ。今考えても「わざとか?」と思うくらいやんちゃな子が集められていた。6年生になってもやんちゃな子は大体1年2組出身だった。それは1年生のときに受けた影響なのか、それともたまたまそういう人たちが集まったのか、はたまた学校の方針として集められたのか、考えてもわからないが、当時の私は2組の人間にびびっていた。だいたい喧嘩なんかも黄色の連中が原因だった。

 

2年生に進級した。クラスは持ち上がりだったのでそれぞれ変わることもなかった。だから2年2組はそのままやんちゃだった。2組は担任の先生、カセ先生も少しイカれていた。当時の流行と言えばたまごっちだった。品薄で買えない家庭もあった。

 

そんな大ブームが起きていたが、当然小学校にたまごっちを持ってくるのは禁止だ。こっそり持ってくるにしても当時のものは消音モード、サイレントモードのような音を消すということが出来なかったはすだ。しばらく放置していると「テッテーテレ♪」とたまごっちが私たちを呼んでくる。8歳の子供なんてみんなバカだ。分かってて持ってくる。たまごっちを持ってきて音がなる→没収→両親登場が毎日のように行われていた。そのせいでたまごっちを持つことすら禁止になった。既に持っている家庭では親が預かってほしいというプリントまで配布される事態だ。

たまごっち禁止令が出された翌日、2組でたまごっちが鳴ったというニュースが3時間目の授業の後流れてきた。2組とはいえそこまでのバカがいたのかと話を聞くとカセ先生のたまごっちだったらしい。その後カセ先生がどうなった、とか上の人から怒られたとかそういう情報はなかったが、3年生になる頃にカセ先生はうちの小学校からいなくなった。

 

そして3年生はじめてのクラス替えが行われた。当然ごちゃ混ぜだ。私は3年2組になった。2年2組怖い人ユーダイ君も同じクラスだった。幸い2年2組から3年2組に来た悪はユーダイ君くらいだった。

心配をしていたが、ユーダイ君は良い奴だった。出席番号が前後だったので席も前後、話す機会も多く、すぐ仲良くなった。

 

皆さんはどうかわからないが、一人称が「ぼく」から「おれ」になるのは3年生くらいでは無かろうか。そしてお友だちの名前を呼び捨てにするのも同じ頃ではなかろうか。小物の私は一律で呼び捨てにすることは出来なかった。呼び捨てにするお友だちもいればそうじゃない人もいる。そしてユーダイ君を呼び捨てにするなんてもっての他だった。

 

夏休みが明ける。私の学校は2学期制だった。前期と後期というわけ方だ。皆さんも学校もそうだったと思うが、学期が変わると委員会や係活動が変更になる。合わせてクラスの掲示物も切り替わる。誰がどの委員会なのか、係なのか、後期の日程表、クラスの目標などなど班ごとにを割り振られ模造紙に書き込んでいく。(1班は委員会表、2組は係表、3班は日程表...という具合に)班は座席ごとに決まっていた。すでに席替えは何度か行われていたため、出席番号順というわけではなかったが、たまたまユーダイ君と同じ班だった。私もユーダイ君も字が下手だったのでほとんど同じ班の女の子に模造紙に書く作業は任せていた。わたしとユーダイ君は周りに星をあしらう仕事を女の子に任されていた。女の子の方は順調に作業が進んで半分ほど終わったとき「もーwユーダイ君雑ぅーー!w 星下手ー!w」同じ班の女の子がユーダイ君に言った。ユーダイ君も女の子もヘラヘラ楽しそうだった。加えて女の子がいう「見てよにはたくんの結構うまいよ!」ユーダイ君も女の子もにはたもヘラヘラ楽しそうだったと思う。そんな和やかな雰囲気で作業も終わった。

 

そして私はその完成した模造紙を掲示するために机に乗った。その日の私は何となくユーダイ君に勝った気がしていた。理由はもちろん私の方が星がうまいからだ。行けると思った。だから「ユーダイ、そ画ビョウ取って!」掲示するためだ。当たり前の会話だ。ユーダイ君は素直に画ビョウを渡してくれた。少し斜めにはなったがなんとか掲示することができた。机から降りる。降りた途端ユーダイ君がこちらに近づいてくる。

「呼び捨てされる筋合いはないけどな。」

怖かったのでなにも言えなかった。翌日にでも、謝ろうと思ったが、それ以降はなんともなく普通に仲良しだった。だが心のモヤモヤは2ヶ月ほど消えなかった「あぁ...もと2組の連中にチクられて、ボコられたらどうしよう。その日がいつ来るんだろう」と。

 

今振り替えるとユーダイ君なりの冗談だったのだろう。そんなことで怒る奴ではないと今の私は言える。その後ユーダイ君をユーダイと呼べるようになったのは小5になる頃だ。

 

           続く