アイツから学んだインターネットにおける自由

アイツはたしかに変だった

 

少なくとも好かれているとは言えなかった。

 

アイツも若かったし、部員の皆様も少し若かった。あいつの若さより皆様の若さこれかなり重要じゃないかと思う。

 

結論を述べてしまった。

 

もっとお話したいので、アイツのあのお面をチョキチョキして風呂敷として広げさせてもらいたい。

 

比喩かどうかもわからないよくわからないことをお話したところで、最近になって思うことは、インターネットという自由な環境、更にいうとあの空間は好きなものの集まり出てきたコミュニティだったということがあの結果になってしまったのだろう。

 

日頃人間は何かを強いられる。どんな人間にも大小問わず何かしら強いられる。学生だろうが社会人だろうが何かを強いられる。睡眠時間を除けば、ほとんどの人間が何かを強いられている時間のほうが長い。

 

その強いられた環境から解き放たれる時間がもはや名前も忘れたなんとか部。

こんな自由で好きな時間に声がでかい気に入らねぇ変なやつがいたら口にもしたくなる。

強いられるはずでない時間だから。

それゆえなんとなく煙たがられていたのだろう。なにより声がでかいから。

 

Twitter含めインターネットには思ったことは書いていいと思う。強いられるべき空間でもないし、選り好みできる空間だから。

 

ただ「思ったこと」を「何でも」とすることはできない。

その書き込みによって誰かを強いてしまうのであれば、許されることではなくなってしまう。

 

結局強いり強いられないと生きていけない